Coffee Break Essay
『東京一世』 地方から初めて東京に来た者は、例外なく巨大なビル群と人の多さに目を回す。数日も滞在していると、人酔いでヘトヘトになる。だから、東京旅行から帰ってきた人は、一様に口を揃える。 「あそこは、人の住むところじゃねぇな」 そこを何とか踏みとどまって頑張っていると、次第に東京が見えてくる。 古い時代に建てられた重厚な建造物や、皇居近辺の緑とゆったりとした景色は、一国の首都にふさわしい景観である。なにげないところに明治が漂い、遠く江戸にまで思いがおよぶ。もっとも、かなり想像を逞しくしなければならないが。 根っからの田舎者である私は、銀座、表参道、赤坂、六本木などという歌に聞く地名を歩いているだけで、ワクワクしてくる。街を歩く若者や老人までが、どこか垢抜けている。オープンカフェでビールをラッパ飲みしながら本を読んでいる欧米人が、絵になって見える。京都、奈良などで見る観光の外国人とは違い、生活者の落ち着きがある。 東京には何でもある。テレビ局もあるし、国会議事堂もある。皇居、首相官邸、最高裁判所、国会図書館、日銀、国立劇場、帝国ホテル、東京大学、代々木公園、銀座、丸の内、超高層ビル群。各国の大使館や一流会社の重厚な本社ビルなど、それまでテレビや雑誌で見たり聞いたりしていたもの全てが限られた範囲に集まっている。 だが、いくら東京が凄くても、それだけではこころ休まらない。たまには人のいない森林の中に入りたくなるし、潮の香りを求めて海へ行きたくもなる。ところが、東京には自然がない。広くゆったりとした公園はあっても、しょせん人造物なのである。海も川もあるが、自然というにはほど遠い。川のせせらぎもなければ、潮騒の音もない。疲れを癒すための、安らぐ自然がまるでないのだ。 お盆、年末年始、ゴールデンウィークといった大型連休になると、都心はもぬけのからとなる。みんな何十キロもの渋滞を作って田舎へ帰る。東京に残っているのは、帰るところのない人か、カネのないやつばかり。(こんなことをいうとぶん殴られる) 東京一世にとっては、どこかで故郷とつながっているからこそ、ここでの生活に耐えられるのだ。親兄弟がいなくなり、帰る場所がなくなったら、と考えるとゾッとする。 現在の東京の繁栄は、地方から出てきた農家の次男、三男といった家督相続権のない者によってもたらされた。分けてもらう土地がないからやむなく出てきたのだ。中には青雲の志に燃え、意気揚々とやって来た若者もいる。 頑張れよ、と肩を叩かれて送り出されて来たからには、それなりの成果がなければ帰れない。故郷は、一時帰省はできても、戻れない場所だった。この退路を断たれた背水の陣が、東京の原動力だった。 だが、今の東京一世には、そんな大それた意気込みはない。地元で働く場所がないから、仕方なく出てきたのだ。兄弟が二人、三人という現代にあって、かなりの確立で長男が東京に出てきている。私もそんなひとりだが。 ビル、マンションの建設現場や道路などの工事現場の傍らを通ると、けたたましい重機音に紛れて懐かしいお国訛りが聞こえてくる。啄木はお国訛りが恋しくなると上野駅に行ったが、北の玄関口が東京駅にとって代わった今、故郷の訛りを味わうためには、工事現場へということになる。肉体労働者にとってもサラリーマンにしても、東京は出稼ぎの街なのである。志を果たしていつの日にか帰りたいという思いを、誰しも大なり小なり抱いて暮らしている。 ここまでいうと、東京で生まれ育った者は、面白くないだろう。だが、この地は、大田道灌が江戸城を築城するまでは一面の森林地帯で、かろうじて河口付近に葦原の広がる茫漠たる土地だった。住人の多くは、数百年前に鮮半島経由で大陸から渡来して来た人たちで、いってみれば東京は、徳川家康によって切り拓かれたニュータウンなのである。 家康や道灌に今の東京を見せてやったらどんな顔をするだろうか。まさか自分の居所の跡地に、天皇家がいるなど想像もしないだろう。ここがかつての江戸ですと言葉を尽くして説明しても、納得しないに違いない。 私は決して東京が嫌いなわけではない。花の大東京はいつも活気に満ち溢れ、お金の不自由がなければ、楽しい街である。 東京はもの凄い街である。だが時々、何が凄いのかわからなくなる。私にとっては仕事の場である。だが、娘にとっては故郷なのだ。親の都合で娘に禍根を残したような、何ともやるせない思いになる。
平成十四年一月 小 山 次 男
追記 平成十九年五月 加筆 |