Coffee Break Essay
目から入ってきた情報と過去の知識を組み合わせて私たちの判断がおこなわれます。
見慣れた風景、でもそれはあなたの記憶としての風景で、本当の風景は毎日どこか違っているはずです。
物をみる。意識してもう一度みてみると、いつもと違う風景が見つかるかもしれません。
『おとこ教室』 先日、新聞を読んでいて、通訳者のコラムにだまされた。次の件である。
某航空会社の機内で、韓国人の女性乗務員のアナウンスが流れた。 「皆様、当機、左前方をご覧下さい。本日は天候が良ろしいので」 やや韓国語なまりだが慣れた日本語で、思いきり気取ったスチュワーデス調。 「富士山が、丸見えでございます」 乗客は笑った。なぜ笑われたのか、彼女は心外だったに違いない。おそらく彼女は、辞書に「丸見え=全体がよく見えること」とあったから使ったのだ。だがこれは普通は、見えるべきでないものが露出している場合に使う。下心とか舞台裏とか、パンツとかだ。
夕食後ぼんやりこのコラムを読んで、思わず膝を叩いて笑った。三度も読み返した。三度も読んだのには、わけがある。このスチュワーデスのアナウンス部分を二度まで読み違えていたからだ。 「皆様、当機、左前方をご覧下さい。日本は天気がよろしいようで、富士山が丸見えでございます」と読んでいた。三度目にやっと気づいた。なあんだ、と興ざめした。 ぼんやりした頭で、視覚に入ってくる文字を無意識のうちに読むことがある。無意ゆえに、ほとんど記憶に留まらない。読み違えていても全く気にとめず、そのままやり過ごすことがある。 入社して数ヶ月間、JR中央線を使って通勤していた。元来、私は朝に弱い。駅員に背を押してもらわなければ、乗り込めないほどの超満員の電車。連日の残業。眠くて仕方がない。電車のドアに押し花のように貼り付きながら、時にまどろむ。夢かうつつかの状況である。窓外の景色にときおり文字がある。広告看板であったり、マンションやアパートの名であったり、会社名であったり様々だ。夢うつつの視覚が文字を読みとり、深く考えずに読み過ごす。看板を目印にもうすぐ○○駅だな、などと思いながら、自分の位置を確認する。看板が風景の一部になっている。 中央線から東西線に乗り換える間に、「おこと教室」と書かれた看板があった。東京では、わりあい目にする看板である。毎朝数ヶ月の間、その看板を正確に読み違えていた。ある日突然、自分の間違いに気づき、ドキリとした。 私はこの看板を「おとこ教室」と読んでいた。読むというより、見ていたのだ。私の頭の中では、「おとこ教室」と読みながら、「お琴教室」という認識であり、「男教室」ではなかった。 この看板を初めて見たのは、東京であった。受験のために上京し、一週間ほど目白の親類の家にやっかいになった。従兄が同じく受験で滞在するのに便乗したのだ。その家の母親が、自宅で若い女性を相手に琴を教えていた。テレビに出演するほどの先生である。その母親の三十代の娘も琴を教え、娘の旦那は尺八を作るかたわら、希望する女性に尺八教室を開いていた。その家の前に「おこと教室」という看板があった。さすがは東京だな、と田舎者の私は大いに感心したのだった。 若い小綺麗なお嬢さんが、午後になると毎日のように五、六名集まってくる。その彼女らが私たちの部屋に、ちょくちょくお茶を持ってきてくれた。誰もが上品な雰囲気で、しかも茶道の習いがあるかのような丁寧な所作でお茶を出してくれる。彼女らが立ち去った後のほのかな残香を、私たちは敏感に意識していた。男子高生だった私にとっては、緊張とときめきが交差するひと時であった。 後で聞いた話だが、北海道から受験で男の子が二人きていると聞き、生徒さんが興味本位で私たちを窺いにきていたという。手ぶらでは部屋に入れないので、家人の計らいでお茶を持ってきてくれたのだ。私の受験の敗因は、この時にあったのかも知れない。私よりひとつ年上の従兄弟も、順当に二浪した。 私がその家に滞在している間、一度も尺八の音色も琴の調べも耳にすることはなかった。たまたま私たちが家にいる時間帯に弾いていなかったのかも知れない。でも不可解な思いが拭いきれなかった。それが私に「おとこ教室」と読ませたゆえんだろうか。 翌年、再度の受験でまたお世話になろうとしたら、数ヶ月前にその家が火事になり、家族全員郊外へ移転していた。 ささやかな楽しみは、それっきりになってしまった。その年、私も従兄も無事に合格できた。
平成十二年六月 小 山 次 男 追記 平成十八年三月加筆 |